shilog

ログです。

手塚の影響が出過ぎた

COD4ベテランがあんまり殺伐としているがこのまま続けると仕事中にピリピリ感を発するようになって人が近寄りにくくなってそのうち口も利かなくなって人語を忘れて山にこもらざるを得なくなりいつしか動物と話せるようになり結果日の出と共に目を覚まし野草を食べ湧水を飲み日がな瞑想に励み日没とともに休みそれを繰り返すうちにいつか悟りを啓くに至るのではないかと考えられもする。確かに悪くはないが俗世に未練が無いかと問われればやり残し感は無くもないのです。出世欲だとか権勢欲なんかには本当に欠けているし物欲はまああるにはあるがそう極端な執着も無し。とはいえ潜在的に蒐集欲求はあると思うけど。Haloフィギュアとかスパルタンのやたら多いパーツと色のバリエーションずらっと並べてみてー、ぐらいのなら。今欲しいのはブルートチーフ。それは置いといて。しかし悟りというのも実に魅力的な光を放つ言葉だ。国政乱れ人は富により分たれ世界を見れば新たに興る国と既得権益を守ろうとする国の政治的激突の潮流。そのような変化の中で人は平静でいられるのか。みずからの存在をヒトと規定しそれまでの思想教条を保って生きることは可能なのか。そこで悟りですよ。この21世紀。このまだ先の長い世紀の名を持って梨の品種として再び過去の栄華をとりもどすためには悟り。考えよ。考えよ。神は人の中に在り。行いを正し、生活を戒め、思索を研ぎ澄まし、悟りを啓くに至りたり。

しかし私は多くの殺生を繰り返してきた。GoWにおいて。CoD4において。Bioshockにおいて。Haloにおいて。Fallout3において。Bioshockはまだやってなかった。この多くの殺生の罪を償わなくてはならない。その罪を認め、受け止め、背負い、共に生涯をすごさねばならない。そして以後、この多くの罪に見合った功徳を積まなければならない。無論ゲームの中でだ。とりあえずメディック的な立ち振る舞いを勉強してみよう。その先のことは仏で無い我が身では知り得ない事だ。ただ目の前の、ただ目の前の、目の前には敵しかいねえな。うーん。ゲームは悟りに向いてないのかしら。


そういう事で途中で投げてた初代Haloレジェンドの続きをやってみた。殺伐としている。悟り一直線。


そんな状態だからマスエフェクトのハードコアでさえなごみ状態。わりと死ぬけど普通にセーブできるから。時々セーブ忘れて修羅になれるけど。