shilog

ログです。

映画にゃ全く明るくないんだけども自分が見た範囲の作品についての映画評なんかを聴いたり読んだりするのは好きで。そういう時にふと映画の歴史に裏付けられた意義だとか文脈だとかに触れる時、翻って自分が明るい(と思いこんでいる)ゲームには思想性とかそういう明確な何かが足りなんじゃないかと思ったりもする。「明確な何か」ってなにも明確じゃないけども。
ポンが生まれてから何十年経ったかは忘れたが、エンターテイメントとしてはそうとう成長した感はある。少年時代にファミコンと出会ってから時々距離を置く事もありながら基本的には仲良く一緒の時を過ごしてきたけど振りかえってみればお互い色々ありながら随分成長したよな、とグラスを傾けながら思い出話の100や200は出来るけど。まあそろそろ次の世代に何かを明け渡す準備を始めなきゃならないかもなと僕は思い始めてるんだが君はどうだいマイ360君よ。未来に何を残すんだい?ああ、子供が生まれたばっかりだったな。人の事良く観察してるよあの子。動きまで理解してるんじゃないか?あの子が大人になった頃、僕らはまだ友達でいられるのかな。本当なら僕の子と君の子がうまくつきあって行ってくれれば一番いいんだが生憎独り身だしな。いや気にしちゃいないよ。うん、先の世界の形は先の世代が決めればいい事だな。僕らはそこで遊ばせてもらう事になるわけだ。君と僕が遊べる場所が残ってるといいな。そろそろ酔ってきた。帰るよ。またな。
あ、マーカスにはいつ会えるのかな。もうちょっと先?そうか。じゃ。


思想性がどうとか考えようとしたらこういう事になったので思想性とかどうでもいいのかもな。エンターテイメントでさえあれば。
キャサリンとか体験版をプレイしてなおまだ全貌が見えない期待感。ああいうのになにかありそうな、その何かありそうな感じに過去どれだけ騙されてきたかは忘れて。


あとはティガに警戒しすぎてギギネブラにやられるような村クエ生活です。